経由«生い立ち»〜中学生最後まで。

はじめましての方ははじめまして。

Twitterから見に来てくださった方は

わざわざありがとうございます(><)


基本的にTwitterに居ますが、

Twitterでは文字数に上限があるので

長文になる話や 重い内容 安易に書く内容でない事柄は、

こちらで書こうと思います。よろしくお願いします。


先ず簡単に(Twitterからお越した方には改めて、)私の病気についてお話します

私の病名は 双極性うつ障害、PTSD、不安障害、統合失調症、情緒不安定性パーソナリティ障害、自律神経失調症です。


精神病院へ入院経験あり。自傷や自殺未遂の経験あり。


ここでは生い立ちを書きます。非常に長くなるので、分けます。


私の家庭は元々母子家庭で兄が1人、私は末っ子でした。母親は今でこそ丸くなりましたが当時はシツケ=暴力という感じでした。それに、ストレスからか、私はなにも悪いことをしていない日も暴力することもありました。同性だからか、私にだけあたりがキツく兄はほとんど叱られていませんでした。


引っ越して住所や保育所が変わったので小学生になっても友達ができませんでした。家に帰っても寂しく 母子家庭だったのでおもちゃやお小遣いなども無く 当時の幼い私は悪意のない万引きをしました。取ったものはずっと憧れていた1人で遊べる用のおもちゃでした。それは店員に見つかり、親は仕事だったので担任の先生が私を引き取りに来ました。担任の先生は、わたしが取ったおもちゃを見て、 私の心を察してくれたのか泣いてくれたのを今でも覚えています。親にも、叱らないであげてくださいという風な事を言っていたきがします。(記憶は曖昧ですが。) しかし家に帰ると 母親はわたしの頭を思い切り殴り蹴りしました。わたしの言葉など聞いてはくれませんでした。

母親がわたしへの暴力の休憩をしている間、わたしは母親に見えるように自分で自分の頭を殴り続けていました。こうして反省してるからもうやめてと伝えたかったんです。


そういう日常が続き、初めて死のうと思ったのは小学5年生かそれくらいの時です。なんせ、小学生のころです。


大雨の日に深い川へ飛び込みました。

みるみる流されました。

その時に通りがかったホームレスのおじさんが空き缶を縛るチューブ的なもので私を助けました。

私を助けた後 ホームレスのおじさんはまた自転車に乗り、直ぐに去りました。

ホームレスのおじさんにお礼を言えたか 言葉を交わしたか 今は覚えていません。


ずぶ濡れで帰っても家に誰もいない、感じが切なかったのは覚えています。


でもその頃はそれで少し正気を取り戻しまたいつもの生活を過ごし中学生になりました。


中学校生活は 最初の頃はすごく楽しかったのを覚えています。友達もいました。しばらくは。しかし、長くは続きませんでした。中学生時代もやはりイジメにあいました。それでも友達は数人いたからなんとか過ごしていたのですが、


今度は兄が私に暴力を奮うようになりました。母親が仕事へ出掛けている最中だけ、お腹や足を蹴ったり殴ったりされました。オマケに暴言も吐かれていました。


家庭環境やイジメによるすりこみで中学生の頃からもう私は完璧に自分は人より劣っている、ダメな子。愛されない。という認識をしていました。


中学2年生の後半の頃に2度目の自殺未遂をしました。当時アパートに住んでいたので飛び降りようとしました。未遂に終わった理由は笑っちゃうかもしんないですが当時飼っていた心の支えだった私のペットの、亀のジョニ子をそのとき日向ぼっこさせていたのでベランダにいたんです。で、そのジョニ子が死のうとした時にすっごくジタバタしていて、こちらに向かって一生懸命泳いでるようにみえました。ただのたまたまだったのかもしれません。でも、それを見て私は、この子のお世話は今後だれがするんだろうって思い、亀のおかげで気を取り直しました。私にとっては本当に大事な子だったので。



中学生3年生の後半ではじめて彼氏ができました。彼は塾で知り合い 付き合うまで時間はかかりませんでした。なにせ、わたしがいじめられてることも相手は知らないのでお互い自然に付き合えたのだと思います。彼氏ができると私は本当に救われました。こんなダメな私を好きになってくれる人がこの世に居たんだって。その日から嫌なことがあったってなんでも乗り越えられる気がしました。彼が居れば。その時から私の人に対する強い【依存】【執着】が芽生えたのかな?と思っています。


高校生になり彼とは別々の高校になりました。しかも、私は引越しで家も遠くなりました。高校生になって間もなく、彼にふられました。理由は他に好きな子ができたそうです。正直この時のじぶんがどうだったか、覚えてないので書きようがありません。しかしかなりショックを受けたのは間違いありません。心の支えでしたから。あと、同時期に兄は就職で関東へ行きました。



ここまででもかなり長くなってしまったので一旦、書き終えます。高校生活からのお話はまた更新します。


読んでくださった方 ありがとうございました。 ブログから来てくださった方は良ければTwitterでも見に来てください。


@chi_ta_chan